日本手話

足早に時間は流れてゆく。
桜の花が咲いたかと思うと、既に梅雨の季節の到来である。
新緑の五月六月はよく歩いた。
八重山、嵐山、丹沢ユーシン渓谷、この前の日曜日は八王子市、長池公園のウオーキング。
仕事は息子に丸投げしての隠居生活。
とはいっても、まだ全面的に引退ということも出来ない。
一応、毎日何がしかの仕事が発生する。


四月からまた手話講習(中級)が始まった。
早いもので、三年目に突入である。
一向に進歩しない手話ではあるが、若い人たちの中の<老>一点、
しかも、男一人。
13人の中級クラスだが、初級とは大違いで、相撲で言えば序の口から一気に
十両の上位に番付変更なのだ。

不肖山猫軒は<日本語>と<手話言語>の違いをようやく理解しつつある。
<日本語>は音声言語である。
ろう者の<手話>は文字を持たない言語である。
初級クラスで学んだ<手話>は日本語を手話単語に置き換えるという方法だった。
常に日本語が頭のなかにあり、聴者のための勉強だったということに気づいた。
頭のなかから日本語を消し去って、
手話に対峙する必要がある。
それで、
普通に勉強していてはついて行けないと思い、
幾つかの書籍を買い求めた。

日本手話で学ぶ
手話言語学の基礎

(松岡和美)

文法が基礎からわかる
日本手話の仕組み

(岡典栄・赤堀仁美)

日本手話の仕組み
練習帳

(岡典栄・赤堀仁美)

翻訳で変わる日本語と手話の関係
驚きの手話「パ」「ポ」

関西手話カレッジ 
手話文化村(編)
米内山明宏・矢野一規・坂田佳代子(著)

その他にも多数。
分からないなりにDVDを見る時間を多くする。
若い人たちが1年で習得するものを、
山猫軒は三倍かかかると思って手話に取り組むことにした。
黄泉の国からのお迎えがくるのが早いか、
ある程度ろう者とコミュニケーションを取ることができるのが
早いか、時間との勝負である。

老齢ゆえ、物覚えは著しく低下しているし、
指はこわばり、どうたいしりょくも悪く手話の動きについて行け無い。
生徒たちは山猫軒を除けば皆さんお若い女性たちである。

麗しの君は酒を飲むたびに
「いいじゃない、若い人たちの中に一人だなんて」
と言うが、講座の二時間は地獄の業火に焼かれているような、
苦難の時間で、あっという間にすぎて、
夜更けの街をトボトボ帰路につく。

しかし、中級手話講座は講師に恵まれた。
初級のときもいい先生(ろう者)だったが、
中級の講師(ろう者)は日本手話を徹底的の教えてくれる。
毎週月曜日の教室に向かうのが楽しみになっている。

ゴリラのココだって、手話ができるのだから、
山猫軒と性格の悪い猫(マオ)と手話で会話する日がくるのだろうか?






[ 2017/06/07 16:24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

みることば

     <みることば><うごくことば>

   
   橋は小さな運河にかかっていた

   西詰から東詰へ
   沈み込む太陽を背中に背負い
   まだ、暖かい日差しの
   中に歩いてゆく
   なにしろ あちらは
   陽が動かぬままじっと
   しているから
  幸せを置くにはふさわしい場所だと
   聞こえる私に
   聞こえない人が
   <みることば>で伝えたのです

   西詰から東詰へ
   音を消した風に背中を押され
   まだ、見知らぬ世界の
   中に歩いてゆく
   きっと、あちらは
   咲き始めた桜の枝に
   光が棲みついて
  その下では静かな宴が開かれていると
   聞こえる私に
   聞こえない人が
   <うごくことば>で伝えたのです

   東詰から西詰へ
   小さな宇宙から音のある地球へ
   その橋で
   すれちがう小さなこどもに
   挨拶をおくる
   <みることば>


[ 2017/04/06 15:46 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

小名木川

P_20170214_134348_convert_20170221171433.jpg


小名木川

クローバー橋の上から覗いた空に
風でめくられたぼくたちの日々が
雲のように流れていた
時間は運河の水に溶け込み
同じ夢をみようとして 眠る

硬く強張る川岸の建屋の壁面を
登ってゆく午後の柔らかい太陽
音もなく
橋の下を流れる水を
押し広げる

あと少しだけ
ゆめや
あこがれ
あと少しだけ
あなたの髪の毛の
くすぐったさを
あと少しだけ
重ねる手の暖かい戯れを
あと少しだけ
朝目覚めるための
ねむりを
あと少しだけ
川岸のふたりの散歩を

クローバー橋の上で
声にならない何かを
優しく丸みをおびた一日を
見つめ
指文字で交わす
今の連なり



春一番、二番が吹いてもう既に春の気配がし始めている。
油断していたらもう2月も20日を過ぎている。
年寄りの時間は亜音速に近い。
というよりも、競走馬並みのスピードで過ぎてゆく。
うかうかしていると、気づいたらあの世にいることになりかねないのである。

今年こそは穏やかな気分で過ごせると思っていたら、
麗しの君は勝手にプンプンしたりして、
気が休まらない。
ワガママは我が家のマオといい勝負といえる。
喉を撫でないと怒るし、撫ですぎても怒る。
歳はとっても猫と女の扱いはいつも、トホホである。

2016_1012jitaku0002_convert_20161025151941.jpg

先日で手話講習初級が終了した。
進級試験は散々だったが、お情けで全員(当初16人が9人に減ってしまった)
中級講座に進級することになり取り敢えずはホッとしている。
今週末には修了式が行われ、
そのあと打ち上げ飲み会である。

中級講座は4月から始まるので、少しだけ手話から解放されるけれど、
せっかく覚えったものがすっかり忘れてしまうおそれがあるから、
日々勉強に励もう。
(気持ちだけ空回り)
三年目に突入した手話である。
あの世に逝くのと、満足できるほど手話を習得できるのと、
どちらが早いか、あるいは、ボケているか・・・

[ 2017/02/21 17:41 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

<この世界の片隅に>

一週間ほど前に観た映画「この世界の片隅に」のことが頭から離れず、
また、観に行ってしまった。
今回は豊洲ユナイテッドシネマである。
同じ映画を日をおかず二度観るのは初めてのことだ。

二度目ともなれば、じっくり落ち着いて細部まで目が行く。
初回では気づかなかったところも多々あるものだ。
敵機来襲の対空砲火で、空に炸裂する砲弾の色が
赤や青、緑など色がついているのは発射した艦を識別するためだったとの
ことも。
ちなみに陸上の高射砲弾は色がついていない。
また、艦上で手旗信号を送っているシーンも。
さらに、空襲で敵機からの機銃掃射を受けて側溝に
周作と飛び込むシーンで、「広島に帰る」
と叫ぶすずに覆いかぶさった周作の背中に
すずの手がまわされるところ(原作にはない)

やはりなんといっても、敗戦の玉音放送を聴いた後、
すずが激高するシーンが胸に迫る。

戦争が終わり、夫の周作と原爆投下後の広島で、
母をなくした孤児と巡り合う。
原爆についてはサラッとしか描かれていないが、
(呉から見た原爆である)
これについてもっと原爆の悲惨さを描くべきではないかとの
指摘した広島市の人のコメントを(ネット上で)読んだ。
原爆資料館に行ってみろと。
気持ちは分からないでは無いが、
この映画は反戦でも核兵器廃絶がテーマでもないと思う。
すずの母親が原爆投下のその日に、地元のお祭りのための買い出しで、
広島に行っていて、行方不明に・・とか、
さり気なく触れていることがいいのだと思う。
そのさりげなさ、普通の人々の普通の時間の大切さを
今の僕たちに伝えようとしているからこそ、
多くの人々に感動と共感を生んだのだ。

また、遊女の<りん>とのこともあっさりと描かれていることも、
原作との違いを指摘する声もある。
実は山猫軒も原作を読んでみた。
たしかに、<りん><すず><周作>との関係は映画では
詳しく触れていない。

違和感を持ったとしたら原作を呼んだ後に映画を観た場合だろう。
原作もいいけれど、映画の良さはまた違う良さなのだ。
この映画は二時間に縮めたカット版らしい。
当初はこれほどまでに観客が入るとは予想していなかったらしく、
上映館も全国で60館ほど、時間も2時間を越えると上映回数が減るということで
こうなったらしい。
今後ノーカット板を観られたらまた違った感動を与えてくれそうだ。











[ 2016/12/24 12:11 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

[

[ 2016/12/23 16:34 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)