おしゃべり

さよならだけが人生さ。

こういっていた寺山修司が本当にさよならをしてしまってから随分になる。
若い人たちの詩を読んでいると、
死に対する作品を見かけることが多い。
まだ、希望や夢に溢れる毎日、足し算の日々なのに、
どうして?と思ってしまうのだが。
まてよ、振り返ってみると僕だって、
中学生から高校の二年生頃までは、太宰の小説を読みあさって、
人生に対して懐疑的になっていたものだ。

若いということは<死>は身近ではない。
それゆえ、簡単に<死>を口にすることができるのであろう。

それに対して僕らぐらいの年になると、
引き算の日々であるし、
身体の不調などまたかいな、だ。
そうなると、自然に<死>はすぐお隣さん。

心臓の発作が起きるたびに、<ああ、もう、いいか、>
と思う。
であれば、そう多くは残されていない時間を大切に使わなければならないのに、
酒とネコの日々。

さよならだけが人生ではない。
こんにちはも人生だ。
あの世の寺山修司さん。


  おしゃべり


しわくちゃな皮膚の上に
一滴、二滴、したたりおちる
あなたの おしゃべり

  <きのう たかことね、よじかんファミレスでね
   はなしたこと きいてくれる?>

きっちり、四時間が再現されて
ぼくの脳はあなたのおしゃべりで
溢れる

まだ会ったこともない たかこ
今は 親しい友のように
あなたのことばから染みこむ

涸れた航跡にふる花びらのような
あなたのおしゃべり
あなたは たかこ で
あなたは ひろこ で

あなたのことばは すでに
満開の桜の花






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[ 2010/03/27 18:08 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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