駅 (師走の有楽町)




去年の暮も押し迫った28日、
麗しの君と映画を観た。

亡くなった高倉健の大フアンなのだ。
ワタシは山猫軒。
「けん」「けん」でも大違い。
何故か出会った頃から麗しの君は
ワタシのことを「ケン」さんと呼ぶ。
きっと「山猫軒」さんと言いにくいのだろうと、
深くは聞かなかったが、
彼女の頭のなかには「健」さんがあったということが、
後日分かった。
少し、ガッカリ。
未だに「ケン」さんである。

「亡くなった高倉健を偲ぶ映画が上演されているから、
付き合え」

というお言葉には逆らうことができない「軒」さん。

高倉健の映画はほとんど観ていない。
元来ヤクザ映画が好きでないという
単純な理由なのである。
従って、菅原文太さんの映画も観ていない。
ヤクザな人生を送っているいるようにみえるが、
反社会的勢力にはできるだけ近寄らない善良な
社会人の山猫軒なのだ。

健さんの映画では唯一「幸せの黄色いハンカチ」だけである。
まあ、とにかく何が上演されているのかを調べると、
有楽町<スバル座>で「駅」という作品がやってる。

師走の午後、「有楽町で会いましょう」
我が麗しの君はいつもにもまして素敵である。

スバル座は懐かしい思い出が詰まっている。
唱和37~39年まで有楽町にあった毎日新聞社の
編集局でバイトをしていた。
東京オリンピックの最中にも・・・

父が毎日新聞の記者だった。
当時社員の子どもたちは
大学に入ると優先的にアルバイトをすることが出来たのだ。
給料は良かった。
学校を卒業して就職した時の初任給24500円
よりも多かった。

「給仕」である。
この言葉は今では死語となっている。
社員の仕事の補助する役割である。
当時は「事務補助員」と言ってた。

紅顔の美少年の山猫軒は編集局の事務補助員、
通信部の電信担当として5人の学生たちと
今で言うFAXを大阪、名古屋、札幌などの支局に
送信するのである。
当然、24時間体制で、シフトを組む。
新聞社は夜も眠らない。

毎日新聞本社は今の「オリエンタルホテル」のレストランのある所にあった。
日比谷よりに隣接するところには
スバル街という飲食店(喫茶店、バー、食堂)があって、
ジャズ喫茶スバルの<ママ>(ママは東京駅八重洲にもあった)があった。
倉橋由美子の小説にも出てくる。

その周辺が再開発されて有楽町ビルが出来たのは
山猫軒がサラリーマンになった昭和40年以降だったと思う。
スバル座は有楽町ビルの二階にあった。
良き時代。

さて、映画の話に戻そう。
健さんが亡くなってすぐのこととだから
さぞかし混んでいるだろうと思って、
早めにチケット売り場に行ったら、
誰も居ません。
窓口のオネエサンに「混んでます?」と聞いたら、
「それほどでも」
と言う返事。

映画は「駅」
舞台は北海道、我がふるさとである。
のっけから、懐かしい駅が出てくる。
<銭函駅>
山猫軒が小学3年の時(札幌)の海水浴が<銭函海岸>だった。

<増毛>という駅を舞台に、
いしだあゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子、古手川祐子。
ただ、ひたすら冬の景色が流れる。
山猫軒の若かった時代だ。
東京オリンピック。
そして、時代はすぎる。

健さんは思いのほか良かった。
「大根役者」と勝手に決めつけていた事を恥じる。

映画館を出ると外は師走の銀座であった。
かくして、二人はメトロに乗って、
清澄白河へ。
麗しの君は<志げ寿司>デビューになった。
常連さんたちと一緒に
グイグイ燗酒を飲んで、酔っぱらい、
そのあとはまあ、いつものとおりです。








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[ 2015/01/07 17:49 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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