大震災一年経過



東日本大震災から一年が過ぎた。
昨日、テレビでは一斉に一年前の津波が押し寄せる様子を
各局一斉に報道していたのではと想像する。
幸いにして我が家にはテレビというものが無いので、
その恐ろしい様をまた眼にしなくても済む。
山猫軒的震災一年目の思いとして、
一編の詩を書いて、犠牲者に対して黙祷を捧げた。

生き延びた被災者のご苦労は、テレビ、新聞などが伝えきれない
想像を絶するものがあるのだろう。
国の無策、瓦礫処理に対する他府県住民の無理解を見ると、
「絆」と言う言葉が白々しく虚しいものに見えて仕方がないのだ。

また、フクイチ原発事故によって、流浪の民と化した避難住民の
方々のことも考えないわけにはいかない。
野田首相は事故の収束を告げたが、何を持って、この事故が、
収束したというのだろうか?
彼にはドジョウほどの脳味噌すら無いのではと揶揄したくなる。
未だに四号機の使用済み燃料と未使用燃料は
5階にあるプールの中に1500本あるという。
プールの中には爆発で吹き飛んだ建屋の
瓦礫が散乱しているらしい。
使用済みと言っても熱を出し、放射能を出しているのだ。
ひとたび、大きな地震が起きたときに、このプールが無事だと
言う保障はないのである。
この事一つを取ってみても、「事故は収束」と言ってのける、
首相の想像力の欠如には恐れ入るばかりだ。
この男の頭の中には震災の復興、電発事故をどうするか
という事は無く、ただ一つ「増税」だけがあるようだ。




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[ 2012/03/12 11:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

配慮

口にする言葉は、こういうときにこそ選ばなくてはいけないのでしょうにね。

被災者にとって、終わりは、まだまだ遠くでしょう。

災禍は、まわりまわって、それは日本の国民全員の荷うべき課題となっていますよね。

増税にしても、社会保障にしても。



[ 2012/03/13 08:03 ] [ 編集 ]

Re: 配慮

雪香さん。

勝手に雪香さんの言葉を拝借いたしました。
ありがとうございます。
いつもながら、胸を打つ短歌(僕には書けない)に触れて、
そのような歌を作れるあなたが羨ましく思います。

大震災一年目を迎えて、様々なことが見え始めてきています。
エゴとエゴのぶつかり合い。
きれい事を言う裏にある本音。
嘆かわしい事ばかりです。

僕らに出来るのは歌をうたい、詩を作ることぐらいしか
ないのかと、考えこみます。
僅かばかりでも被災者の助けになることは何なのか、
同時に考えています。


[ 2012/03/13 12:13 ] [ 編集 ]

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