三月十一日の記憶




      三月十一日の記憶



  
    ぼくは三月十一日の記憶の上を
    歩いている
    穴の空いた舗道のような
    夜明けの来ない夜のような
    ぶくぶく天空に
    立ちのぼる黒い泡を
    涙に霞む目に入れながら

    一年、三百六十五日
    三月十一日の記憶は書き換えられて
    街は灯りの洪水に洗われ
    記憶は真昼の星屑になったけれど
    ぼくの鉛の箱の中では
    星屑はいまだに
    櫂を亡くした漁夫だ

    三月十一日午後二時四十六分
    ぼくは記憶の蓋をあけて
    うなだれる
    鋤を亡くした農夫
    親を亡くした子供
    子供を亡くした親
    くりかえしてはならない嘆きを
    影のように引きずって
    静かに流れ出る書き換えられない記憶
    濁った水に浸された印画紙

    薄赤い現像室で
    浮かび上がってくる記憶を
    ぼくは明日という指で摘みあげる
    ぼくに何ができるのか
    何をすればいいのか
    問いかけながら
スポンサーサイト
[ 2012/03/11 15:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(8)

素敵な詩をありがとうございます。素敵、と言うにはあまりにも重い課題だけど、3.11の記憶に向けて、山猫軒さんと思いを同じくさせていただきました。
これからもご活躍を祈ります。
[ 2012/03/11 18:03 ] [ 編集 ]

同じ思いです

私も同じ思いです。
同時に平成7年1月17日と重なります。
宝塚で震災に合い亡くなった父の事が頭から離れません。
私にもどうしても消えない記憶です。
[ 2012/03/11 19:02 ] [ 編集 ]

私も阪神大震災と重ね合わせて考えてしまいます
表現のしようがないくらい心が悲しいです、苦しいです
それでも、どうか毎日の1日を積み重ねて前に進んで欲しいと思います
[ 2012/03/11 19:19 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

冬の寝子さん。

僕達に何が出来る?
何をすればいい?
この問いかけが頭の中をグルグル回っています。


[ 2012/03/12 11:07 ] [ 編集 ]

Re: 同じ思いです


neneさん。

そうでしたか。知りませんでした。
お気の毒としかいいようがありません。
お父上のご冥福をお祈りいたします。

大災害の記憶は当事者以外には
次第に薄れていっているように思います。
十年もすれば「そんなこともあった」
としか思わない人たちが沢山いるでしょう。

しかし、忘れない人たちもいます。
その人たちの中のひとりありたいと、
僕は思うのです。






> 私も同じ思いです。
> 同時に平成7年1月17日と重なります。
> 宝塚で震災に合い亡くなった父の事が頭から離れません。
> 私にもどうしても消えない記憶です。
[ 2012/03/12 11:14 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

さくら子さん。

上書きできない出来事もありますね。
おっしゃるとおり、一日、また一日を
生きていかなければなりません。
前へ、前へと。


[ 2012/03/12 11:17 ] [ 編集 ]

素敵な詩を他の人にも読ませたくて、勝手に私の日記で発表してしまいました。
事後承諾ですが、お許しください。
[ 2012/03/12 14:36 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

冬の寝子さん。

どうぞ、お使い下さい。
ご紹介いただいて恐縮です。


[ 2012/03/13 11:57 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://isoisomao.blog3.fc2.com/tb.php/636-cce4e899