詩歌について思うこと



ここのところ、詩を三編ほど書いた。
「夏の葉」からの注文で二つ。
「Terry」さんからの注文で一つ。
やはり、見知らぬ人から「これで詩をつくって」と言われると嬉しい。
山猫軒のかたよった頭ではない、別の脳から発信される言葉が、
おおいに刺激になるのである。
「夏の葉」さんのお題はいつも意表をつくものだ。
断じて山猫軒の頭の中にはこのような言葉はないのである。
こんな言葉を持っているなら、自分で書けるのではないかと、思う。

また、「Terry」さんの<立春>にしたって、
まず、山猫軒の辞書にはない。あまりに現実的にすぎるからだ。
<立春>は暦に記されているものとしか思わないところに、
山猫軒の偏狭さがある。眼から鱗だ。

今日は少し詩論(私論)を述べてみたい。
なぜこんなことを思ったかというと、昨今「五行歌」というものが、
静かなブームになりつつあるように思うからだ。
「五行歌」は万葉人が歌った一つのかたちらしい。
簡単に言えば五行の歌なのである。
和歌は5,7、5,7,7の言葉で作られる。
それを崩すと五行になる、ということなのだろうか。
ただし、そこには韻律はない。
短歌、俳句、川柳、もっと言えば自由詩(現代詩も含めたい)
には韻律とレトリック(比喩、暗喩も)の縛りがある。
不自由な身動きできないような中で、短歌も俳句も作られる。
そして、何よりもその基本に<創造>→<想像>が、
求められる。心象(それもできるだけ異種の)を乱暴に
結びつける作業が詩歌と言っていい。

「五行歌」は<歌>と言っているが「短歌」とは似て非なるもののようだ。
なぜならば、散見する五行歌には今述べた詩歌の基本が
無いように思うからだ。
実は優れた五行歌があるのかもしれないが、
残念ながら今のところ山猫軒の眼には触れていない。
「五行歌」を日常の中でのメモ、覚え書きと考えればそれは
それでいいのだろうか。
八重洲ブックセンターの詩歌のコーナーで分厚い「五行歌」集を
ぱらぱらめくってみての感想である。


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[ 2012/02/13 13:50 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

あっぱれ

兄貴、少し遠慮気味ですが、よく書かれました。
[ 2012/02/14 05:19 ] [ 編集 ]

詩心

同じように感じます。

短歌・俳句・詩・・・そこには詩心が無ければ作品として成立しない、長い歴史をかいくぐって生き抜いてきた
核があると思うのです。
限られた字数の中で、何処を削ってどこを残して、という作業の中で段々、自分の心の余計な部分が削ぎ落されてスッキリ、ああこれが伝えたかったことだ、と本質的なものが、言い換えれば真実の輪郭が見えてくる。
そんな時に納得のいくものが出来たりしますね。
比喩、暗喩・・・そして余韻これらが一つのものとして成立した時に「ポエム」になるんだと思います。
言い過ぎ、は残念な気がします。
独りよがりの長いコメで失礼致しました。
[ 2012/02/14 09:31 ] [ 編集 ]

Re: あっぱれ

geotechさん。

大分遠慮しました。

> 兄貴、少し遠慮気味ですが、よく書かれました。
[ 2012/02/15 10:35 ] [ 編集 ]

Re: 詩心

ミルフィーユさん。
おっしゃるとおり。
詩歌では言葉をそぎ落とします。
生の言葉は響きませんね。



> 同じように感じます。
>
> 短歌・俳句・詩・・・そこには詩心が無ければ作品として成立しない、長い歴史をかいくぐって生き抜いてきた
> 核があると思うのです。
> 限られた字数の中で、何処を削ってどこを残して、という作業の中で段々、自分の心の余計な部分が削ぎ落されてスッキリ、ああこれが伝えたかったことだ、と本質的なものが、言い換えれば真実の輪郭が見えてくる。
> そんな時に納得のいくものが出来たりしますね。
> 比喩、暗喩・・・そして余韻これらが一つのものとして成立した時に「ポエム」になるんだと思います。
> 言い過ぎ、は残念な気がします。
> 独りよがりの長いコメで失礼致しました。
[ 2012/02/15 10:38 ] [ 編集 ]

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