祈り<天皇皇后>

TVを見ない山猫軒が心を打たれた映像の一つに、
天皇皇后両陛下の姿がある。
4月27日東日本大震災の被災地宮城県南m三陸町を見舞われた
両陛下が瓦礫に向かって黙祷を捧げている。

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     <産経新聞4月28日より>


不肖山猫軒は先の大戦の中に生まれ、生まれ故郷は今は、
ロシアの領土となっている。
最早帰るべき地はないのである。
根無し草の人生を送る所以はこんなところにあるのかもしれない。
であるから、山猫軒は幼い頃から戦争に対して非常に深い憎しみを
持って生きてきた。
引き揚げてきたあとの飢えと貧困の日常は今も忘れることができないのである。
それもこれも、天皇の名の下に行われた戦争が悪い。
父(新聞記者)叔父、叔母(日本共産党員)の影響もあり、
長いこと天皇制廃止論者であった。


ずいぶん前に小中陽太郎さん(作家、評論家)と親しくするすることがあって、
酒を呑みながら太平洋戦争について語り合ったことがある。
僕が「敗戦日本は経済用語に置き換えると、会社更生法を適用された会社
みたいなもので、天皇制は廃止されて当たり前です」
というと、小中さんは大笑いをしながら、
「会社更生法、倒産会社だね、日本は」と答えたものである。
このような天皇制に対する考えは年月を経るにつれて、
次第に変わっていくことになる。


山猫軒の父は日本共産党びいきで、会社を定年退職後は
赤旗日曜版を配達していたほどである。
共産党員ではなかったが、母も同様で仲の悪い夫婦なのに、
不思議なことには、
思想的なところで意見の一致をみていたようだ。


それが、ある日突然、父の共産党びいきはコロッと一転して、
共産党嫌いになったのである。
当然、赤旗の配達も止めてしまった。
それはナゼか?
昭和天皇が崩御されたとき、共産党は赤旗で天皇を批判するような記事を
掲載したようである。
そこのところは詳しいことは分からない。
父が憤慨して言っていたのを覚えているだけなのだ。
しかし、父が天皇陛下に敬愛の念を抱いていたというのも、
僕にとっては驚きであった。
むしろ、天皇制廃止論者だったように思うのだ。
そのあたりを追求することは息子としても、
はばかられるものがあって、とうとう、
真意を聞かぬままに先年あの世に旅立ってしまったのである。


このように我々日本人と天皇とは外国人には理解しがたい
奥深い情で繋がっているのであろう。
今回の震災でも菅直人総理が何度被災地足を運ぼうとも、
我々の心を打つことはできないのに、
天皇皇后が一人一人に声を掛けられている様子や、
瓦礫に向かい黙祷を捧げる姿を見るとき、
僕は言いようもない何かが、こみ上げてくる感情に襲われる。
父もそうだったのだろう。
考えてみれば父が共産党と決別した年頃に、
この息子もなっているのである。


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[ 2011/05/09 11:59 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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