悲しいのはカンニングではなく・・

大学入学試験でカンニングをした予備校生の事件を、
マスコミは大新聞、TV総掛かりで取り上げている。
この受験生の行ったことが良いか悪いかといえば、良いとは言えない。
しかし、カンニングという行為についていえば、
誰しもが少なからず思い当たることがあると思うのだが・・・
僕たちの時代にはせいぜい消しゴムや、下敷きに、
小さな文字で書き込む(ほとんど意味無し)といったことだった。
もしかしたら、今回の受験生の他にも大勢もっと、
上手にカンニングを成功させていた者がいたと考えてもおかしくない。
こんなことを易々と見逃していた大学側は<間抜け>としか言いようがない。
恥ずかしげもなくTVに出てくる京大副学長なる御仁を見ていて、
この受験生にあんな大学なんぞに行くな、と言いたくなる。

ぼくはこの問題は大騒ぎ(特にマスコミが)することではないと思うのである。
どうしても大学に入りたかったという、この受験生の言葉を、
大学関係者、教育に関わる人たちは今一度重く受けとめる必要がある。

以前から我が国の大学は「入りにくく、出やすい」と言われてきた。
もしも、「入りやすく、出にくい」大学であったら、
この問題は起こらなかったかもしれなのだ。
少なくともこの受験生がどうしても進学して親に負担をかけまい
(報道のとおりならば)
としたら、大学で勉学に励みさっさと、卒業したと思いたいのだ。

ぼくはむしろ、どのようなことをしても目的を達したいと考えた、
この少年の貧しい心根が悲しいのである。
親に負担をかけまいとしたとも聞くが、
大学の入学試験に失敗したら<ゲームオーバー>と思ったとしたら、、
このことが悲しいのだ。
たかが、大学の入学試験なんか人生の一瞬である
「失敗してもまた次の何かがあるさ、」
と考えることのできない想像力の貧しさを憂うる。

この次ぎがあるといえるのは青年の特権である。
最早、山猫軒のような老いぼれにはこの次は空の彼方にしかない。
その、山猫軒ですらまだ「次ぎ」求めて苦しむのである。

マスコミもこのようなことで右往左往するよりも、
もっと、伝えねばならぬ事があると思う。
ゲスノ勘ぐりかもしれないが、本来伝えなければならないことを、
伝えなくてもいいようにするための格好の出来事と捉えているとしたら・・・




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[ 2011/03/04 21:03 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

大学に入ることが目的だから、燃え尽きるんですよ。

ワタシには手段だったけど、それでも少しは燃え尽きましたからね。

むつかしすぎです、入試。
それでもって・・・日本の大学って、いらない教養教科が多すぎです。
おかげで専門教科が圧迫されているし・・・

日本語関係の専攻に、英語をやる必要性はあまり感じません。
[ 2011/03/04 23:42 ] [ 編集 ]

まったく

>本来伝えなければならないことを、
 伝えなくてもいいようにするための格好の出来事と捉 えているとしたら・

確かにそう思えなくもないですね。
国民の目をそらそうと・・・
しかしいまの日本の稚拙さには辟易しています。
[ 2011/03/05 06:55 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

まんがいんくさん。
おはようございます。
本当ですね。入るのを易しくすればいいと思いますね。
そして、進級、卒業を難しくすればいいのです。




[ 2011/03/05 10:43 ] [ 編集 ]

同感です、山猫軒さんのご意見に寸分なく同感です。
マスコミしたり、大学したり、そんなに大騒ぎするほどの話でしょうかね・・・
[ 2011/03/08 20:00 ] [ 編集 ]

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