三人の「はじめ」

最近僕が必ずといっていいほど訪ねるブログがある。
連れ合いを亡くしして間もない女性のブログである。
どうしてそのようなところに迷い込んだのか、
よく分からない。
夫においてゆかれた妻からの夫に対する日記が、
これまた、ひとつの詩のようであり、せつない。

このご夫婦のなれそめが間違い電話であったという一文がある。
嘘のような話だが、本当であろう。
人との出会いは幾重にも絡み合った因縁のようであり、
不肖山猫軒もこのブログで嘘のような出会いを経験している。

ブログを初めてまもなく、あちらこちらと覗きこんで歩くうちに、
詩を書き連ねているブログが目にとまった。
詩そのものは荒削りであった。
詩を書き始めて間もないものと想像された。
身の回りの出来事を痛快に笑い飛ばしている文章が、
これまた軽妙なのである。
それから、頻繁にそのブログを訪ねるようになり、
コメントの書き込みからメールのやりとりに発展するのに、
それほどの時間はかからなかった。

お互いにある程度素性を明かしたことから、
一気に親密度が増すことになった。
それは三人の「はじめ」だった。
不肖山猫軒の名前は「甫(はじめ)」という。
偶然にもそのブログの主のお兄さんの名前は「はじめ」であるという。
そして、ネットを勧めてくれた近所の親しい人の名前も
「甫(はじめ)」である。

二人の名前をもじってつけたのがそのブログのタイトルであった。
そして、お互いの過去を語り合ううちに、
そのひとの別れた夫のふるさとは僕のふるさとと同じであることも、
知ることとなった。
まさに、偶然であろうが、幾つにも重なり合う偶然が、
遥か遠い北国のどこか(山猫軒の祖母のでたところでもある)に住む、
ひとと交流を深めることになろうとは思ってもいなかったことである。
人生とは味わい深いものである。


      冬の夜


    雪がやんだら
    とじられた夜更けの窓硝子に
    冬の星座がやってくる
    しゅんしゅん 薬缶が音をたて
    広げた地図は迷い道だけが
    印されていて
    奪われた夢の残骸が
    時間の突堤の先で波に洗われている

    うたたねの目覚めの身震いを
    ぱらぱら 落とし
    ダルマストーブに
    石炭をくべると
    ほんのひとにぎりのことばが
    煙突の煤になって
    夜空にたちのぼってゆく

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[ 2011/02/03 17:56 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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