さようならは

      「さようなら」は希望の始まり



私はなぜか「こんにちは」よりも「さようなら」が好きである。
女たちとの別れはしばしば夢の中に出てきたりするが、
出会ったときのことは夢に見ない。
「こんにちは」には無い<望み>が「さようなら」にはある。

最近感じることの一つに、シングル(独り者)がやたら目に付くことである。
よく行く<ユロット>ここのママがシングル(未婚)であるわけではないと
思うが、お客に独り者が多い。
若い恋人が居るKさんは夫と死別だが、
常連客のなかには未婚の男女が多い。
また、飲み友をみても、離婚した女性も数いる。
死別、離婚は別として未婚者がこれほど多いのはどうしたわけだろう。
少子高齢化はこうして進行しているのだ。
そして、彼らには恋人らしき影が見えないのも不思議である。
隠しているのかも知れないが。引出しの中か?
こんにちは」がなければ「さようなら」もない。
別れの夢にうなされる私とは大違いなのである。

 ♪あうはわかれのはじめとはぁ~♪

そして、わかれは出会いの始まりなのだ。
すなわち<希望>といえよう。
究極の「さようなら」は<離婚>である。
自慢ではないが不肖山猫軒は二度の離婚を経験している。
二度したんだから三度目に挑戦するだろうことを友人達は
固く信じて疑わないが、当人は考えてもいない。
夢に出てくる女が増えるだけである。ご勘弁願いたい。

なぜ、結婚しないひとが増えてしまったのだろう。
私の息子のゲンさんは35歳になる。
いまだ独身である。訳を聞いたことがある。
「給料が安くて結婚などできるわけがない。」
そのわりには毎日のようにネットショッピングの荷物が届くのが不思議である。
デブで禿げてチビであるかというとそうではない。
オヤジにはかなわないがイケメンのチョイ手前と言ってもいい。
女が嫌いか、男が好きか、問うてみた。
「女が好きである」という。
そういえば、先日淺草ロック座(ストリップ)に行ってきたといっていた。
オヤジさえまだ見たことがないというのに、マメである。
このマメさを普通のお嬢さん達に何故発揮できないのか?
オヤジの山猫軒はステージで踊るストリッパーよりも、
ベットの上で国際経済、理論物理学、文学について、
妙齢のご婦人と語り合う方を好むのである。
女好きというがベクトルの方向が違う。

確かに給料は安そうである。
しかし、ネットで何か商売をしているようで、十分に不足分を補っているのは
事実なのだ。
始終友人と飲みに出かけ帰りは午前様である。
なんといっても住まいの立地条件がいい。
この山猫軒でさえ、二三年前までは朝帰りをしていたほどである。
営業開始が午後十時なんて飲み屋があるから、
どうしても、いやいやながらも朝帰りになる。

あらぬほうに話が逸れたが、要するに「惚れた、ハレタ」を
避けているとしか思えない。
さようなら」がもたらす大変さ、つらさを避けるのだろうか。
さようなら」の後にくる喪失感、罪悪感、は確かに耐え難い。
台風が過ぎ去ったあとの青空のような開放感もあるけれど。
しかし、それを乗りこえてこその人生なのだ。



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[ 2010/09/27 18:31 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

こんにちは^^

別れた後の三度目の「希望」はまだ見つかりません?

山猫軒さんの文章そのものが「イケメン」です^^
[ 2010/09/29 16:19 ] [ 編集 ]

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