北の地の終わらざる戦争

珍しく二日続けて現場に朝イチで立ち会いである。
場所は横浜市金沢区、金沢八景の手前福浦である。
それで、ブログの更新ができなかった、と、
いい訳をまず・・・・
6時半には家を出て電車で1時間半。
昨日も今日も、早朝から暑い。
現場は某お菓子メーカー(結構有名)の工場の事務所工事であった。
エアコンがまだ付いてない!!!!
窓を開けて(海側である)も、暑い!!!!


作業をする職人たちも大変だが、それを見ているだけの山猫軒も、
汗だらけである。
午後には帰ってきたが、一週間歩き続けたほどの汗を流し、
疲労困憊で、昨夜は酒も飲まないで寝てしまった。
ブログとか、詩を書くとかの余裕はとてもない。
だらだら、本を読んでいる。
理論物理学の本を3頁読んで、一眠り、
分子生物学の書を10頁読んで、また眠る。


8月17日、ソ連軍上陸す」
   ー最果ての要衝・占守島攻防記ー

  大野芳 著  新潮文庫

これを、半分ほど読み進んだ。
途中で、やっぱり、居眠り。
多分、明日には読み終えるであろう。

北千島の終わらざる戦争の記録である。
不肖山猫軒は樺太の真岡で敗戦を3歳で迎えている。
既に無条件降伏した日本に対して、ソ連軍の攻撃が、
僕の生まれた街にもなされたことは、
あまり知られていない歴史の欠片である。

早朝、すさまじい砲声に父と母は飛び起きたという。
外に出て海を見ると(我が家は丘の上にあった)海上はソ連軍の艦船で、
埋め尽くされていて、さかんに艦砲射撃を行っている。
終わったはずの戦争がまだ終わっていない。
腰をぬかさんばかりの驚きであったと、父母は後に言っている。
とりあえず、身の回りのもの、宝石など貴重品をかき集めて、
スーツケースに入れようとしたが、気が動転していて手が震え、
上手く入れられない。
とうとう何も持たずに、日本刀大小二振り、小刀は母が、
大刀は父が持って、幼い妹を父が背中に背負い、
必死死で逃げたという。
僕はもう既に歩いていたので母が手を引いていたらしい。
ソ連軍の戦車のキャタピラーの轟音を耳にしたときは、
子供二人を殺して、二人で差し違えよう、と、
山に分け入り藪の中で座ったところ、そこが、
地蜂の巣の上で、蜂に追われて逃げるうちに、
死ぬ気も失せ他の避難民と共に逃げおおせたと、
笑い話みたいな嘘のようなホントのはなしを幾度聞いたことか。



この真岡の戦闘では多くの日本人が亡くなっている。
有名なのは7人の電話交換手(若い女性)が最後まで留まって、
自決したと言う話であろうか。
この銅像が稚内の樺太を望む場所に建てられていると聞いている。

そんな事で、戦争の季節になると、広島、長崎、沖縄、
東京大空襲などの事をマスメデイアが取り上げるが、
北の地での悲惨な戦争のことにはあまり触れられていない。
今年は浅田次郎が「終わらざる夏」でこの占守島の死闘を書いていて、
評判のようである。
樺太~北千島~北海道と予定されたソ連の侵攻を、
占守島と、樺太の日本兵達が食い止めたと考えても良いのだと思う。
今日の日本の繁栄はその屍の上にあるのである。

戦争を体験した父母達も、逝ってしまった。
しだいに薄れてゆく戦争の記憶と記録である。






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[ 2010/08/24 15:04 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

おはようございます(^^)
お恥ずかしいですけど
私も先日のTVで
初めて、
終戦のとらえ方が世界中と
日本では違うということを知りました
私達にとっての終戦は
8月15日の玉音放送ですよね
その他の国は
9月2日のポツダム宣言で終戦と、しているらしいんです
だからソ連は9月2日までに
北方を自分のものにしたという主張を聞いて
私はギョッとしました。。。
山猫軒さんは幼い時に
その経験をされてるんですね
その島に住んでいた方々の
驚きと不安!
その後の
御苦労や御心痛を考えると
涙が出てきます
語り継いでいかないといけませんよね


[ 2010/08/25 11:41 ] [ 編集 ]

こんばんは。

>ソ連軍の戦車のキャタピラーの轟音を耳にしたときは、
子供二人を殺して、二人で差し違えよう、と、
山に分け入り藪の中で座ったところ、そこが、
地蜂の巣の上で、蜂に追われて逃げるうちに、
死ぬ気も失せ他の避難民と共に逃げおおせたと、
笑い話みたいな嘘のようなホントのはなしを幾度聞いたことか・・・

ご両親様、お子達もそのような体験をなさったのですね
すさまじい戦争体験。こうして拝見し、涙が出てきました。
子供さんを守ろうとする執念と愛そのものに深く
感銘を受けます。二度と戦争は起こしてはならない。
山猫軒さまの原点を見た思いです。
戦後生まれの姫はお恥ずかしいことに戦争について
知らない事が多いです。語り継がねばならない事なのでしょうが、
本当の地獄を見た人は語るまでに「葛藤と時間」が相当掛かるとも聞きます。
それだけの経過を経て語られた真実を私達は決して無駄にしてはならないと
強く思いました。
[ 2010/08/26 20:04 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

TOKKOさん。

コメント遅れて申し訳ありません。
この暑さのせいで年寄りはすっかり、しおたれていますので・・・
ブログの更新もままなりません。

真岡の話は(父からの話)たくさんありますが、
強く心に残るものの一つをご紹介します。
父は毎日新聞の記者でした。
それで、逃げている最中に様子を見に、一度街に戻りました。
その時、町はずれで気が狂ったように泣いている女の人に出会ったそうです。
訳を聞くと、
「ソ連軍に追われ、幼い子供の手を引いて逃げたが、
神社の境内でソ連兵に銃撃され、もうダメだと思い、
子供の首を絞めて殺し、自分はここまで逃げてきたけれど、
果たして死んだかどうかは分からない。
どうにも、後ろ髪引かれる思いでその神社まで戻ろうとしている。」
ということでした。
父が「自分が見てくるから、ここにいなさい」、と言って、
用心しながら神社の境内に行ってみると、子供が一人倒れている。
そっと、近寄ってみたら子供は既に息絶えていた。
しかし、何メートルか這った後がある。
死にきれずに這ったがそこで息絶えていたのです。

そのことは流石にその母親には言うことができなかったと言っていました。
綺麗に掃き清められている地面に残された一筋の跡。、
今も、まるで、自分が見た光景のような錯覚を覚えます。

悲惨な戦争は絶対にあってはならない、そう思う僕の思想は、
ここに原点があります。


[ 2010/08/27 11:01 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

猫谷姫さん。

こんにちは。

> 戦後生まれの姫はお恥ずかしいことに戦争について
> 知らない事が多いです。語り継がねばならない事なのでしょうが、
> 本当の地獄を見た人は語るまでに「葛藤と時間」が相当掛かるとも聞きます。
> それだけの経過を経て語られた真実を私達は決して無駄にしてはならないと
> 強く思いました。

そうですね。次第に風化してゆく戦争体験、時間が消し去ります。
それと、おっしゃるとおり、当事者はあまりの悲惨な体験ゆえ、
「無かったことに」してしまうのですね。
語りたくない、思い出したくないのです。

最近高齢の方がポツリ、ポツリと貴重な体験を話し始めているようですが、
時間が経ちすぎました。
言えることは、多くの人たちの失われた命の上に、
今のぼくたちの社会がある、ということです。

真岡のことはTOKKOさんへのコメントでも書いてあります。
読んでください。
子供の母親であればなおのことお分かりになることと思います。
[ 2010/08/27 11:09 ] [ 編集 ]

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