ワールドカップ、足的時代

手的時代から足的時代
  サッカーとミニスカート



あと、何時間後かにサッカーワールドカップが始まる。
TVもその話題で盛り上がっている。
管新政権の閣僚の事務所費問題も場外に蹴り出されたみたいだ。

かつて、寺山修司は<足時代のヒーローたち>の中で、
野球が、スポーツだった時代は終わってしまった。
いまでは、野球は茶の間で見る「ホームドラマ」になってしまった。
と言って、ホーム(家庭)インする回数を競う野球の悪口を言い、
美しい足と強い足」のサッカーを持ち上げる。
サッカーブーム、寺山が語っている時代は昭和の40年代であったから、
今と比較できないほどにつつましいものであったといえる。

そんな時代に、サッカー人気について、
  私はもっと素朴な一人の酒場のホステスの感想に耳を傾けたいと思う。
  それは、
  「サッカーのどこが好きかですって?タマが大きいからよ」
  というのである。
  大きいタマは男性的である。
  それは性的時代の象徴であり、いかにも英雄的に見える。
  そして、大きいタマこそは、世界を制するための条件の一つなのである。


さらに、寺山は続けて、
  一口にいって、現代は<足的時代>にさしかかっている。
  それは人間の歴史が、道具を発見し、そしてそれを使いこなすことで産業を
  生み出してきた<手的時代>にとってかわるものである。
  「手は作るが足は作らない」
  べつのことばでいえば手は、生産的だが、足は消費的である。そして、
  足は手よりもはるかに享楽的なイメージをもっているようである。
  足的時代のサンプルは「膝上10センチのスカートとサッカー」である。
  そこには、美しい足と強い足がある。


ワールドカップの話がミニスカートと美しい足の話へと発展するのは、
まさしく哲学的な思索のなせるわざである。


かつて、手的時代を生きてきた老人達は、膝上10センチのスカートを見て、
腰を抜かさんばかり驚いたものだが、それはむかしの女たちの足が短かったので、
10センチもまくりあげると、非情に重大な部分が見えてしまうのではないか、
と怖れたためであろう。

ついつい、ミニスカートの話になると年寄りはボルテージが上がる。
血圧も上昇する。心拍数もしかり。
哲学的思考とミニスカートは忘れて、
アフリカ大陸初のワールドカップを見ながら、
強い足たちが大きなタマ(頭蓋骨大)をゴールへ(ホームではない)
蹴りながら疾走するのを楽しもうではないか。


我が家のマオのゴールは冷蔵庫の下である。
そこには、十数個のネズミのオモチャが転がっている。
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[ 2010/06/11 13:51 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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